チョコ泥棒とは...
いつからか、沖縄市を拠点に、同級生3人で ダラダラと活動する(はずの)劇団です。

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続・追加公演のお知らせ

2013年08月12日

劇団 チョコ泥棒

追加公演

『我が逃走〜見逃した君たちへ〜』

開催決定!

8/11(日)に開催されました旗揚げ公演『我が逃走』は約60名のお客さまが入り演者は、人気者を気取っていました。スタッフは、志喜屋がやらかさないかヒヤヒヤしておりました。

そして、好評につき追加公演を今週8/18(日)に開催する事が決まりました!
(旗揚げ公演する前から決まってましたが。)

演目は、旗揚げ公演『我が逃走』と全く同じです。場所も時間も金額も同じです。

違うのは受付の玉袋煮玉子(玉城美奈子)さんが仕事のため来れないだけです。か

演者が旗揚げ公演と同じクオリティを出せるかは正直、微妙ですがきっとやってくれると思います。

チケット予約受付いたしますので、

兼島、志喜屋、喜久山、米須、玉城(女)、なかね、しま

のうち好きな人にご連絡をお願いいたします!

【日時】
2013年8月18日(日)
開場20:00
開演20:30

【会場】
Dining Surprise Bar Paraiso
(沖縄市安慶田4-17-17 2階)

【チケット料金】
1,000円
※上記金額内に、ワンドリンクの代金が含まれています。  


Posted by チョコ泥棒 at 18:23Comments(2)公演情報

追加公演、やってあげます!

2013年08月06日

劇団チョコ泥棒 追加公演
『我が逃走〜見逃した君たちへ〜』

開催決定!

旗揚げ公演(第一回)を今週8/11(日)に控え、チョコ泥棒は何を思ったのか追加公演を開催する事を決定いたしました。

演者:喜久山の『せっかくセリフ覚えたし、忘れる前にもう一回やろう。もったいない。だって俺、覚えたし。』という軽はずみな、そしてワガママな発言がこのような事態を招いてしまいました。

旗揚げ公演と全く同じ内容をもう一度、しかも翌週にやります。

ここで一つ確認です。

『まだ、旗揚げ公演は成功していません。』

だけど、追加公演やります。

旗揚げ公演は、行きたかったが予定が合わず行けない。という数少ない方のために開催してあげます。

詳細は、以下のとおり。

【日時】
2013年8月18日(日)
開場20:00
開演20:30

【会場】
Dining Surprise Bar Paraiso
(沖縄市安慶田4-17-17 2F)

【チケット料金】
1,000円
※上記金額の内に、ワンドリンクの代金が含まれています。

【チケットご予約方法】
メール:chocodorobo@gmail.com

TEL:090-1088-9518(兼島)

•上記の問い合わせ先まで、①お名前、②ご予約人数、③ご連絡先をお伝え下さい。

•兼島には連絡しにくいという方は、喜久山&志喜屋&米須&玉城(女)までご連絡下さい。

•Paraiso店頭でもチケットを販売しております。スタッフにお尋ね下さい。  


Posted by チョコ泥棒 at 12:27Comments(0)公演情報

旗揚げ公演 開催決定!

2013年07月11日

皆様、お待たせ致しました。

決してお待ちかねだなんてことは有り得ないと存じ上げておりますが、ですが、お待たせ致しました。


我らが劇団チョコ泥棒。

いよいよ、旗揚げ公演の日程が決定致しました。


劇団を結成してから、ダラダラダラダラと時間を浪費しながらも、やっとの思いで公演までこぎ着けることが出来そうです。



いつのまにか裏方スタッフが出現し、彼のお陰で大変なことになって参りました。
彼のゲリラ的なプロモーション活動の結果、周囲の方々からの応援の声が異常に増えてしまったため、ハードルが上がり過ぎて棒高跳びのバーと見間違う程です。僕は今すぐにでも失踪したい気分です。


なんてグダグダ言いながらもやらなければその裏方スタッフに怒られるので、ちゃんとお芝居をやります。

本当です! 練習してます! なので、ブーイングやクレームは是非ともお控えください。僕らの心は4Bの鉛筆より折れやすく、繊細な扱いが必要です。

というわけで、以下が詳細でございます。お1人様5枚はチケットをご購入ください。



劇団チョコ泥棒・旗揚げ公演『我が逃走』

〔公演概要〕
 ひどく落ち込んだりどうしようもなく困ったとき、大切なのは、優しい言葉や誰かが側にいてくれることではない。必要なのは、その場から一目散に逃げ出す勇気だ。そうだ人生なんて、逃走の連続で生きていけるのだ。そう開き直って社会生活を送ることを決意した人間ばかりが登場する、6つのオムニバス・コメディ。真っ当な方から正当な説教を喰らいながら生きていく人生におさらばしたい方への、餞の作品となりました。仕事ができて頭が良くて女からモテるヤツになりたいけど、なれないから、こうして3人集まって劇団つくったんです、観ていってください、という雰囲気を存分に醸し出しております。どうぞ、ご堪能あれ。

〔作・演出〕
  兼島 拓也

〔出演〕
  志喜屋孝将
  喜久山徹
  兼島拓也

〔日時〕:2013年8月11日(日)
  開場 20:00
  開演 20:30

〔会場〕:Dining Surprise Bar Paraiso
    (沖縄市安慶田4−17−17 2F)

〔チケット料金〕:1,000円
  ※上記金額の内に、ワンドリンクの代金も含まれています。

〔チケットご予約方法〕
  ・メール:chocodorobo@gmail.com
  ・TEL:090-1088-9518(兼島)
  ・ブログ

 上記の問い合わせ先まで、①お名前、②ご予約人数、③ご連絡先をお伝えください。  


Posted by チョコ泥棒 at 13:59Comments(0)公演情報

ズ・ブヌンバペペ

2013年06月29日



やりたいことはない、
やりたくないことならたくさんあるけど。

人に優しくしたくない、
偽善だと思われたくないから

人に優しくしてる人を見て、
あれは偽善だと心で思う。

いい人に見られたいだけだろ、って。

そんな風に思われたくないから、
人に優しくしたくない。

気づいてはいる、
周りだってそこそこ見えてる。
鈍感で何も感じてないやつと一緒にするな。

俺は気づいてる。

気づいてるやつと、気づいてないやつ。

それはもう、圧倒的に気づいてるやつの方が優秀でしょ

だって、気づいてるんだから。

こっちは気づいている上で、あえて、人に優しくしないんだよ。

その難しさを誰も理解してない、

気づいたと思ったら、偽善の奪いあい。いち早く気づいたよ、私気が利くでしょアピール。そんなもんくそくらえだ。

あなたはそれを当たり前の行動とかって思ってるんでしょ?逆になんで気づいてるくせにやらないんだよとか思ってるわけだよ、

こっちは気づいたうえで、モラルと戦っているんだよ


俺、気づいてるからね


いや、まじで



本当は気づいてないんでしょ?だって?


馬鹿言うなよ、気づいてるよ、気づいてるって、気づいてる、気づいてるといってんだろ!!
なんだ君は!さっきから!!

本当は気づいてすらいないくせに!とかうるさいんだよ!


わかってるよ!!自分だって!!どーせ俺は気が利かないよ!気が利かないの分かってるから、せめて気づいてはいたってのをアピールするしかないんじゃないか!そーだよ、俺は気づいてすらいないよ!!分かってるよ!!

あーそうだよ!!俺は気づいてないよ!ふざけんなよ!



それをなんだ、エラソーに上から指摘しやがって!


俺が可哀想だろ!



人間のクズ!思いやりのカケラもない糞野郎め!!






あれ、ほぼ俺のことじゃん。




  


Posted by チョコ泥棒 at 00:05Comments(0)ぽM(ポエム)

儚い

2013年06月25日


 
トイレで用を足す時にさ、パンツ下ろしていて良かったって思うんだよね。
下ろしていなかったら、凄く嫌だと思うから。

今にも壊れそうな扉の内側で、息を潜め、ただただ誰にも見つかりません様にと。一秒一秒がまるで永遠の様。私はただただ何も起きません様にと祈っていました。嵐が過ぎ去るのを待っていると静寂を切り裂く大きな音。それはまさに耳の内側でジャンボジェットが飛んでいるような衝撃。壊れかけの私の扉に張り手を打ち始める力士。やめてくれ、やめてくれ。私は声にならない声で叫びながら、必死で扉を内側から押さえるのです。それでも力士の張り手は止まりません。もうだめだ、このまま壊されてしまうのか。そう思った次の瞬間、力士はどこかへ行ってしまいました。突然訪れた静寂。さっきまでの出来事は、まるで悪い夢でも見ていたかのよう。私は喜ぶよりも、大きな疲労感に一息つきます。良かった、嵐は過ぎ去ったのだ。その瞬間私は膝の力が抜け、その場に座り込んでしまいました。極限からの安堵。自分がまだ生きていることをゆっくり実感し、喜びすら覚えたその瞬間、ドンドンドンドンっ!!力士がまた襲ってきました!やめろ、やめてくれ。しかしもう、私に耐える力など残っていませんでした。

ぶりっ、ぶりぶりぶりっ、ちゅどーん!!扉は壊され、パンツは汚されました。直視できないほどの現実がそこにはあります。パンツの内側でこんな凄惨な事件が起こるなんて。こんな嫌な思いをするくらいなら、パンツなんていらない!パンツなんて履かない!
 
今日も、パンツを下ろしていて良かったと、心から思うのでした。
ありがとう。

  


Posted by チョコ泥棒 at 17:05Comments(0)ぽM(ポエム)

(10)とまらない涙

2013年06月11日

うして涙は、こんなにも、こんなにもしょっぱいものなのだろう・・・


僕の偏屈な性格がまだ顕著になる前の、ピュアな中学時代のことだ。
当時、第二次性徴まっただ中の僕は、同級生の男子連中もそうであったように、『女子』という生き物に興味津々だった。
可愛らしい女子生徒を見ると、心臓の辺りがドクドク激しく波打った。なんだろう、この感覚。

「神様! 最近僕、どこか変なんです。心臓がドキドキして、身体の中がだんだんと熱くなってくるんです。そしてその熱はどんどん広がっていって、頭もボーッとしてなんにも考えられなくなるんです。神様! これはいったい、なんなんでしょう? 僕は、おかしくなっちゃったんですか? 僕は病気ですか?」
「拓也君。安心しなさい。君は病気なんかじゃない。それは、君が立派に成長している証だよ。君が抱えている感覚、それは、性欲だよ」
「これが、、、これが性欲ですか! そうか、僕は性欲を手に入れたんだ! やった。やったぞー!」

こうして、性欲を手に入れた僕だったが、代わりに、とても重大なものを失ってしまった。それは、女子との交流だ。僕は、異性を意識しすぎるあまり、女子とまったく喋ることが出来なくなっていたのだ。


普段の学校生活を送っていく上では、女子と喋らなくても全く不都合はない。しかし問題は、学校行事だ。
なにかと『クラスで一致団結するべき!』という価値観を押し付ける学級担任。そしてそれを無抵抗に受け入れるクラスメイト達。
学校は社会の縮図、だなんてよく言われるが、マイノリティの声はどこにも届かないのが世の常らしい。
全員が幸せになれるようなルールやモラルというものを共有するべきだ。僕はそう思い続けた。無論、女子を意識し過ぎているので、クラス全員の前で意見を述べることなんて出来ない。
「先生! 学級ルールをつくりましょう!『小太りで丸坊主の男子を見つけたら、女子の方から話しかける』という、誰もが幸せになれるルールを!」
僕は心の中で叫び続けたが、その声は無情にも、行事でテンションの上がったクラスメイト達の騒ぎにかき消された。


例えば、校内合唱コンクール。
練習中、やる気のない男子を活発な女子が叱りつける、という江戸時代中期から続く伝統的な儀式が、僕のクラスでもやはり適用された。
なんと、生け贄とも称されるやる気のない男子の役目を、僕が担当することになってしまったのだ。いやいや、僕はやる気がないのではなく、勇気がないのです。恥じらいを捨てられないだけなのです。お願いだから、皆の前で僕をなじらないで。そして皆、僕を見ないで! そんな冷たい目で、僕を睨まないで!
叱られながらも、女子意識過剰症候群の症状が出てしまったらしく、謝罪も否定もせずに、一切口を開くことなくその場をやり過ごした。
ピーンと張りつめた教室の空気が、その日のうちで緩むことはなかった。


そんなこんなで、本番当日。集団圧力から逃れられなくなった僕は、全校生徒が見守る舞台の上から、自棄になって大きな歌声を放った。本番だけは本気でやるという、男子中学生特有の現象だ。コンクール終了後、僕たちのクラスは多くの賞賛を受けた。それはほとんどが「男子の歌声がすごい良かった!」というものだった。同級生だけでなく他の学年の担任がわざわざ言いにきていたくらいだから、結構真に受けてもいいものだろう。
僕はこう思った。「僕のお陰だ」と。僕があんなに大きな声で歌わなかったら、きっとこのクラスの男性パートが賞賛されることはなかった。皆、僕、やったよ! 皆、僕を見ろ! 僕を褒めろ!


しかし、銀賞。金賞は頂けなかった。


すると、練習中に僕を叱りつけた女子が口を開いた。
「男子がもうちょっと練習してたら金賞取れてたのに・・・」
殺意が湧いた。他の女子には恥じらいで話しかけてないが、お前には憎悪でだからな! 嫌いだから話しかけないんだからな! ちびのくせに偉そうなことぬかすんじゃねえよ! お前なんかな、ゴキジェットプロで一発なんだからな!
なんてことを考えていたら、たまたま僕の近くに立っていたある女の子が呟いた。


「でも、男子スゴい良かったよね。男子のお陰で銀賞だよね」


僕は、一瞬で恋をした。
まさに女神(そうだ! マリアと呼ぶことにしよう!)。
男子のお陰で銀賞、ということは、僕のお陰で銀賞という意味である。
それまで生きてきて、こんなに褒めてもらったことはなかった。

好きです!

その場の勢いで告白しようかと思った。
でもやめた。
なぜなら、僕は、女子を意識し過ぎていたから。
結局話しかけられないまま、気付けば僕らは、中学を卒業していた。マリアと僕は、別々の高校へと進学していった。




それから約10年後、大人になり偏屈になった僕だが、多少は女性とも話しをすることが出来るようになっていた。
そして先日、不意に奇跡が訪れたのだ。


残った仕事を処理しようかと思い、僕はとあるファーストフードに入店した。
いつもはほとんど利用しないお店だが、隣接するレンタルビデオ店に行ったついで、『ここでいいか』という軽い気持ちで自動ドアをくぐった。
その、たまたま入った店内には、その日はたまたま若者グループが多数来店していて騒がしく、かつ、空いている席も少なかった。
どこが一番仕事が捗るか等と考えながらとある席に腰を下ろすと、なんとその席の隣に、マリアが座っていたのだ。
しかも、驚くべきことに、マリアの方から声をかけてきたのだ。
久しぶりに会ったマリアは、すごくキレイだった。
突然の遭遇でうろたえながらも、一言言葉を交わし、深呼吸をした。
マリアとはそれまでも、成人式や友人の結婚式等で顔を合わせることはあったが、二人きりで話し込む程の機会はなかった。
なにか、話しかけるべきだろうか。
でも、なんか仕事してるっぽいし・・・

トリアエズ、静カニシテイヨウ。
トリアエズ、仕事ヲシヨウ。

変に話しかけるよりは、ここは黙々と仕事をこなしている姿を見せる方が、逆に好印象なのではないだろうか。きっとそうだ。僕は自分を納得させ、パソコンを開いた。
と、僕はある残念な事実に気付いた。パソコンのバッテリーの駆動時間が、そろそろ残り少なくなっていたのだ。
充電してくるべきだった!!
必死でコンセントを探すも、なかなか見つからない。
あぁ、どうしよう。仕事ができない!
でも、帰って家で仕事しようなどとは思わなかった。
なぜなら、隣にマリアが居るから。
たまたま入った店の、たまたま隣の席にマリアが居るなんて。こうもたまたまが続くと、もはやそれは奇跡なのだ! 神様がくれた奇跡なのだ! そうですよね、神様!
ここで先に帰ることで、神様がくれた奇跡を自ら手放すようなことはしたくなかった。
マリアが帰るまでは、俺は帰らないぞ!
そう固く誓った僕は、なんとか時間を潰す。それも、いかにも仕事をしているかのように見せかけて。


マリアは、頑張り屋さんだった。
マリアは、なかなか帰らなかった。
僕は、もうずっと帰りたかった。


結局、マリアが店を出たのは、深夜の1時半を回った頃だった。
マリアは帰り支度を済ませて立ち上がり、僕に向かってにっこりと微笑みかけてきた。
「お疲れさま」
そう言い残すと、そのままマリアは店を出て行った。
僕の「お疲れさま」が、彼女に届いたのかどうかはわからなかった。


あぁ、僕はなんて小さい男なんだ。
もっと話しかけろよ!
自分の根性を恨んだ。


まぁでも、マリアの笑顔を見れただけでも、僕は幸せだ。
マリアは、可愛くて、優しくて、頑張り屋さんだった。
その事実だけで、僕はどこか幸せな気分になっていた。


マリアが店を出てから5分程経ち、僕も帰ることにした。
なんだかんだ、今日はいい日だったな。
少しはにかみながら車に乗り込もうとすると、駐車場の隅に停めてあった車の中に、マリアの姿を見つけた。
あら。まだ帰ってなかったのね。
もしかして、僕が帰るのを待っててくれてたりして。
向こうも向こうで、話しかけるタイミングを掴めず、最後のチャンスとばかりに駐車場で待ち伏せしていたのでは。
車に乗り込んだ僕は、ケータイをいじっているフリをして、マリアが僕の車に近づいてくるんじゃないかと横目でちらちら様子を窺っていた。
すると、僕の車の隣に、一台の乗用車が駐車しようとしているのに気がついた。
おい、そこの車。邪魔だよ。君がそこに停めると、僕がマリアを見れないじゃないか! オイ! どけよ!
そんな声は届くはずもなく、その車はまんまと僕の視線とマリアへの想いをさえぎった。
その車の運転手は若い男で、彼は降りるなり店内とは別の方向へと歩いていった。
おいおい、店に入らないのにここに停めるんじゃないよ!
怒りを通り越し、呆れ返った。なんだかどうでも良くなった僕は、マリアを諦めて家に帰ることにした。駐車場を出る間際、チラッとマリアの車の方を見た。すると、さきほど僕の隣に駐車をしやがった男が、マリアの車へと乗り込んでいったのだ。


うそ、だろ・・・。


マリアに彼氏がいることは、同級生から聞いていた。知っていたけど。でも、あいつが!
しかも、平日のこんな時間から待ち合わせなんて。もう、やることほとんど限られてくるじゃないか! 行くとこほとんど限られてくるじゃないか!


あぁ・・・


軽く自暴自棄になりかけたが、僕は大人だ。そんなことでいちいち凹んでなんかいられない。
僕はその足で、近くの大人なビデオのレンタルショップへと向かった。その店の中でも、とびきり過激なコーナーでとびきり過激な一本を選んだ。別に、落ち込んでないよ、と言わんばかりに。

僕はね、君に彼氏がいるとか、僕のことなんて頭にないとか、全然気にしてないよ。その証拠にほら、こんな過激なモノも借りちゃうし。これはつまり、いまあったことなんて、全然気にしてないってことだからね。別に、君のことなんて、なんとも思ってないんだからね! こっちには、このAVがあるし! 君になんか興味ないし! そういうことだからさ!

そうやって強がって、家に着くなり僕はビデオを再生した。夜中だからイヤホンをして。別に、目的は自慰行為ではない。こうでもして強がらなければ、どうにかなってしまうような気がして。

ほら! 君たちはカップルで楽しんでいるかもしれないけどさ、こっちはプロの取っ組み合いを見てるんだよね。君たちアマチュアとは違うんだよね。わかる? プロ対プロ。このビデオに出てくる人たちはさ、どっちもお金貰ってやってんの。君たちみたいに、お金払って場所を用意するような、そんなもんじゃないんだよ。わかる? 本気度が違うんだよね! で、その光景を、ビデオの中の肉と肉の激しいぶつかり合いを、カップ焼きそばを食べながら鑑賞している僕のこの余裕感。どう? もう器が違うでしょ? はじめからさ、君たちとは住む世界が違うんだよね。ということだからさ、結局、つり合わないんだよ。君と僕じゃ。ごめんよ、マリア。そういうことだからさ。それにしても、この塩焼きそば美味いな。なんか、いつもよりもスゲェー美味い。なんかね、いつも食べてるのと同じヤツなんだけどさ、今日はなんか、いつもよりも塩味が効いてるんだよね。調味料の成分変えたのかな? なんだろう、これ。食べれば食べる程、スゲェー塩辛くなっていく。それにさ、きっちり湯切りしたはずなのに、なんかスゲェー水がたまってるんですけど。なにこれ? なんだろうこれ? もう食べ終わったのに、水がたまっていくよ。仕方ない。飲んじゃおうか。あれ? 塩辛い。麺は全部食っちゃったのに。なんでだろう。う〜ん。あ! そっか・・・これが、涙なんだな。
  


Posted by チョコ泥棒 at 13:24Comments(8)ハダ色の日々しりとり

稽古前

2013年05月22日

稽古前のシキヤ代表です。


本当にサイテーな男ですが、

この男が持つ爆発力は本物です。

ちなみに現在無職、彼に仕事を下さい。
  


Posted by チョコ泥棒 at 00:17Comments(0)練習風景

ちゃんと練習やってます。

2013年05月09日

みなさんこんばんわ。
広報の玉城(女)です。

実はチョコ泥棒、ちゃんと練習してます。
毎週一回やってます。

私玉城が何者かはさておき、いつになるかわからない公演の為に、彼らは汗を流しています。

というわけで、よろしくお願いします。








  


Posted by チョコ泥棒 at 23:53Comments(2)練習風景

(9)リスクマネジメント

2013年05月08日

ッカー日本代表の試合終了後、インタビュアーがとある選手にマイクを向けた。劇的な逆転勝利をもぎ取った後で、選手は普段のインタビューに比べて、いくらか興奮しているように僕の目には映った。彼の口から流れ出る勝利の喜びと客観的な課題とが入り交じった言葉の中で、あるワードだけがフワフワと宙に浮いていた。

『リスクマネジメントが・・・』。

90分間の激闘を終え、汗と汚れにまみれたユニフォームに身をまとった、爽やかな青年の口から出た言葉とは思えなかった。違和感のなかに嫌悪感が少し忍び込んだような。

一言で言えば、気取ってんじゃねーよ! ということである。


そうなのです!
だいたい『リスクマネジメントが・・・』なんて口にするヤツは、いちいち気取ったヤツに違いないのだ。そんなヤツらが揃いも揃って、ベンツをメルセデスと呼んだり、ベートーベンをルートヴィヒと呼んだり、みのもんたをみのりかわと呼んだりするのだ。


だいたい、なんだ! 『リスクマネジメント』って! 意味が分かるようで分からないぞ!
今日の日記は、怒りの日記である。


というわけで、『リスクマネジメント』について調べ、その内容を以下に記してみた。


リスクマネジメントとは、リスクをオーガナイズドにマネジメントし、ハザードやロスをアボイドもしくはリデュースするプロセスのことをいう。
ヴァリアスなハザードによるアンフォシーンなダメージに コンマ ミニマムなコストでエフェクティブにトリートするためのアドミニストレーションアプローチである ピリオド(出典:Wikipedia



やっぱり気取っている。このワードのディスクリプション自体が気取っているのである。



僕は、あのサッカー中継を観た日から、あることを考え込むあまりなかなか寝れていない。
「お前さ、この失敗何回目だよ! もっとリスクマネジメントしろよ!」
これでは、“リスクマネジメントと言いたい感”がモロに出てしまう。
もう少し自然に『リスクマネジメント』と発せられる状況はないものだろうか。


そこでミーはシンクしてみた。ナチュラルにリスクマネジメントとセイできるパターンを。それがコチラ。

①「良いよねぇ・・・リスクマネジメントって・・・」
どうだろう。少し良くなってきたと感じないだろうか?


②「あれ? どこに置いたっけ? リスクマネジメント・・・」
かなり自然だ。思わず一緒になって、リスクマネジメントを探してしまう。


③「すいませ〜ん。リスクマネジメントいますか?」
完璧だ。ここまでくると、もはや誰もリスクマネジメントのことを言っていると思わなくなる。そうなればしめたものだ。


というわけで、このパターンを身に付ければ、いつでも自然な「リスクマネジメント」を繰り出すことができるのだ。

そこで、青い服着たサッカー坊主に告ぐ! 今度の代表戦でのインタビューの時は、こちらを是非とも使ってみてほしい。すると、君たちの今後のサッカー人生が光り輝くこと請け合いだ。
僕は、君たちが栄光へと登っていく姿を、隣でずっと見守っていたいんだ。  


Posted by チョコ泥棒 at 00:06Comments(2)ハダ色の日々しりとり

(8)裏切り

2013年04月28日

ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾(ヨク)ハアル


うん。欲はある。たっぷりと性欲が。
気が付けば、中学生時分の僕の部屋は、肉情ばかりが溢れていた。
特に、寝る前にベッドに入るともう悶々。枕は女性の上半身、掛け布団は下半身。枕カバーのチャックを開けては腕を突っ込み、両手でクッションをこれでもかと揉みしだく。誰にも気付かれないように、少々激しめのひとり着衣プレイを楽しんでいたことを、まるで昨日の事のように思い出します。
もしかしたら、昨日もやっていたのかも知れません。


ところで宮沢賢治に性欲はあったのか。
なんて考えても埒が開かないが、ISSAにはあった(もちろん現在も)。
数々の有名女優や女性タレントと浮き名を流しまくった彼は、まさに沖縄県民(男性)の誇りであります!



『俺、女優の〇〇と・・・』


男にとって、これ以上の武勇伝は存在しないのではないだろうか。
一緒にテレビドラマを見てる友人がもし、出演女優を見るなりそんなことを言おうものなら、次の日から彼には敬語になり『さん』付けもする。そして毎日のように彼に缶ビールを差し入れし、その某の情事について根掘り葉掘り聞き出そうと企む。男なら当たり前である。
そしてもし聞き出す事に成功したら、その武勇伝はもう自分のものになってしまっている。頭の中で何度も反復し、あたかも自分が女優の〇〇との熱情体験を持っているかのような、そんな気分になってしまう。男なら当たり前である。
まぁ要するに、『人生で一度くらいは・・・』ってことである。


それを、かのISSA様は・・・いったい何人の有名人を抱いたのだろう。
羨ましくなった僕は、仕事中ではない時間でISSAの恋愛遍歴について検索してみた。すると、出てくるわ出てくるわ。同じ地で生まれた人間が、有名な女優やタレントやモデルやアイドルを抱きまくっている。
そのお陰で、いつのまにか僕も、柴咲某やあびる某や藤井某を抱いたことになっているのである(名前は伏せておきます)。
ありがとう。ISSA。いや、辺土名一茶!あなたのお陰で、僕はビッグな男になれたようだ。


とは言いながらも、やっぱり僕は、未だに枕と掛け布団で懐を埋めている。
なんなんだ、この格差は! 全く以て不公平な世界である。出来るのなら、平等にいきたいものです。僕はここに、マルクス主義を宣言したいと思う。




なんてワーワー言うとりますが、今回のタイトルは『裏切り』である。


ISSAは2011年末、県内在住の女優の某と婚約を発表した。
これは、沖縄県民(男性)に対する背信行為だった。これで身を固められると、もう沖縄県民がいつのまにか有名女優を抱く事が出来なくなってしまう。それはマズいぞ。僕はまだ、綾瀬はるかも長澤まさみもかたせ梨乃も抱いちゃいない。待って、待ってよ〜、ISSA〜・・・


と涙を浮かべて佇んでいるところに、悲しくて嬉しいニュースが届いた。
ISSAと、女優の某が婚約を破棄したとの事だった。
やはり、彼は裏切らなかった。
おそらく、AKBの某との熱愛報道が原因なのだろう。女優の某にしてみれば、裏切られた形となったわけである。可哀想な某である。
そしてよくやった、AKBの某。君のことは知らなかったが、豊満だから良いと思う。


ありがとう一茶。これからも宜しく。



最後に。。。


人生一度くらいは、生身の有名女優を・・・


サウイフモノニ
ワタシハナリタイ


男なら、当たり前である。




せんとくんではない



↓火野正平・・・(禿げるとモテるのでしょうか)
  


Posted by チョコ泥棒 at 01:03Comments(0)ハダ色の日々しりとり

一番槍の行方

2013年04月25日

はじめて、『公演情報』のカテゴリーへの投稿でございます。

といっても、チョコ泥棒での公演が決まったわけではありません。

実は、脚本担当・兼島(投稿者本人)が、チョコ泥棒以外での活動として、他劇団によるステージの脚本・演出(一部)を担当する事となりました。

つまり、言ってしまえば抜け駆けです。バイクを壊し、財布を失くし、喜久山は練習に姿を見せなくなりました。そして志喜屋代表は、週5でゴルフに通うという贅沢な生活をはじめ、あげくファミレスに行っては兼島に驕ってもらうという暴挙を繰り返しています。そんな輩は置いといて、僕だけそれっぽいことをやっておこうという寸法です。

ですけれども、もちろんチョコ泥棒を見捨てたわけではございません。だれよりもチョコ泥棒を愛し、この活動に、時間も労力も捧げ、大きな希望を託しているのです。
というわけでチョコ泥棒、いよいよ動き出そうとしています。何かやろうとしています。結局は、ぼくが独裁政治を敷かなければヤツらは動かないのです。体罰を解禁し、誹謗中傷を浴びせてやろうと思います。マキャベリを愛読書にしたいと思います。
今後のチョコ泥棒の(水面下での)動きを、お見逃しなく。


兼島が脚本・演出を担当する舞台について・・・


【サンクスステージ2013】
・タイトル:もうすぐ今日が終わる
・日時:2013年9月23日(月)17時〜 ※祝日です。
・会場:南風原中央公民館 黄金ホール
・物語の紹介・・・
 ある日の話。新聞配達アルバイトの善喜は、雨に降られることへの恐れから自らの業務を放棄し、それ故当然のごとく社長に説教を喰らってしまった。文乃は、恋人である善喜の家に向かう途中、自殺願望を持つ女装した中年男性に「自分を車で轢き殺してほしい」と嘆願される。その中年男性・茂呂は、鬱陶しい新聞屋の通院や愛媛旅行に付き添うはめになり、娘の美絵の元へと行く事がなかなか出来ない。善喜の母は玉の輿を狙い、医者は母に恋をして、キジムナーは何のために登場するのかわからない。
 取るに足らない人間達が織り成す、どうでもいい会話と、どうにでもなれな日常。それぞれの人生が交錯するとき、一筋の光が射してくるかは定かではないが、まぁもうしばらくは生きてようか、と思うのは僕(著者)だけでしょうか?
 そんなこんなで、いつかどこかの誰かに何らかの形で感謝の想いが伝われば良いな、という半ば投げやりなメッセージと共にこの作品をお届けしたく思います。どうぞ、お気軽に。

※内容は変更する場合が多いにございます。お手柔らかに。


と、なんやかんやで今現在は準備段階といったところであり、やっと脚本が直しの時期に入った感じです。
稽古やプロモーションはこれからふんわりとはじまっていくと思われます。
ちなみに、『親子愛』や『感謝』といったキラキラしたキーワードを伴っての依頼であったため、陰湿でネチネチとした思考に偏っていく僕には、非常に四苦八苦した執筆作業となりました。でも割と、ちゃんとやってます。
詳しい事が決まり次第、随時アップしていけたらと思います。

サンクスステージについては、コチラをご覧ください。  


Posted by チョコ泥棒 at 12:10Comments(2)公演情報

(7)ストレートという魔球

2013年03月21日

川球児のストレートがなぜ「魔球」と呼ばれるのか。それは、「真っ直ぐ」だからである。なにを至極当然なことを、なんて思われる方にはじめで伝えておかなくてはいけないのだが、ストレートを「真っ直ぐ」投げるなんてことは、まず不可能である。なぜなら、当たり前のことだが「重力」というものが存在するからだ。彼のストレートは、この重力に反発しようとする力が他の投手よりも数段強いのだ。彼と対峙するバッターからすれば、「ここだ!」と思って振り出したバットの軌道よりもさらに上をボールが通過していく。ボールが藤川の指先から離れた直後には低目だと思っていたものが、見事に高めに決まったりするのだ。


 普通、重力の影響でボールはだんだんと落ちてくる。どんなに速いボールでも少しずつ下降していることを、プロのバッター達は、意識的か無意識かわからないが読み取っているのだ。実は、僕らはこれと似たようなことはたまに体験する。遠くから見たら可愛いと思ったら近づくとそうではなかったり、写真で奇麗な女性を生で見るとコメントに詰まったり、後ろ姿が美人な女性を見つけて前に回った瞬間に思わず目をつぶってしまったり、大抵ははじめの印象を下回ってしまう。多くの人はその事実を薄々感じている。現実はこういうもんだと受け入れている。しかし、藤川のボールはそれを裏切り、僅かばかりの落差で飛んでくるのだ。その落差が僕らの考えているものより遥かに小さいために、彼のボールは浮き上がって見えるのだ。


 なぜ彼のボールだけが強く重力に反発するのか。推測するに、彼はいま遅すぎる反抗期を迎え、しかしその反発する対象がいないために、仕方なく重力に歯向かっているのだ。彼はいい子過ぎたのだ。そしてもう一つ、彼のボールの軌道はマグヌス効果の働きとも強く関係している。進行方向に向かって強烈なバックスピンをかけると、進行方向に垂直な上向きの力が発生するのだ。またボールの回転速度が速い程、ベルヌーイの定理により上向きに推す力は強くなる。つまり、強いバックスピンをかけてボールを投げると、重力に逆らい、真っ直ぐミットまで届くのだ。


 ここで、僕はあることを感じた。言葉も一緒なんじゃないか、と。どれだけ想いを込めて伝えようとしても、なかなか相手には真っ直ぐ届いてくれない。ならば、その言葉も強烈な逆回転をかければいいのではないか。そう思って、僕は周囲の人に巻き舌で喋りかけてみた。語と語の間に、無駄にラ行を挟んでみたのだ。すると、皆が皆、「?マーク」を額に浮かべていた。こんな定理なんて嘘っぱちである。


 実際に藤川のボールは、回転数が多いらしいのだ。通常の投手が投げたストレートは1秒間で平均約37回転するらしい。しかし、藤川はそれが約45回転であるとのことだった。ちなみに、現メジャーリーガーの松坂牛は41回転、主婦が発明した新製品みたいな名前のマーク・クルーン(球速の日本プロ野球記録保持者)が43回転であった。数年前、ミキティことフィギュアスケートの安藤美姫が、女子初の45回転ジャンプに成功したとして話題になったが、藤川のストレートの回転数はそれとほぼ同じ回転数なのである。むしろミキティの方が凄い。


 そんな藤川も、昨シーズン限りで阪神タイガースを退団してしまった。彼の長年の夢であったメジャーリーグへの挑戦権(海外FA権)を取得したのだ。移籍に関しては賛否があるだろうが、個人的には彼のボールがメジャーの強打者達にどこまで通用するのか見てみたいと思う。全盛期に比べたら彼のボールの威力は弱まっている感があるが、それでも藤川ならやってくれるんじゃないかと思う。もしダメそうなら、ミキティを投げちゃえば良いんだと思う。


↓ 藤川球児


↓ 安藤美姫
  


Posted by チョコ泥棒 at 08:06Comments(0)ハダ色の日々しりとり

(6)ランダムネス

2013年03月21日

ンダムネスについて考えると、なんだか頭の中がショートしてしまいそうだ。僕がこのテーマに興味を持ったのは、『たまたま』という本がキッカケだった。いや、その『たまたま』を解説していた松岡正剛がキッカケだった。この“知の巨人”の解説には膨大な情報が詰め込まれ、もの凄いと感心したが、その内容を僕がわかったのかわかっていないのかわからず、そのせいでまたしても松岡正剛の魅力にハマってしまった(彼のサイトを読む度に、頭の中がグチャグチャになりそうである)。


 そんなわけで、ぼくは『たまたま』という本を、“意図して”手に取った。うきうきしながら読み進めると、“やっぱり”グチャグチャになった。この本の内容は、考えれば考える程不思議で面白いのだけれど、考えれば考える程脳が息苦しくなるのだ。
 この本は「偶然」や「不確実」を捉えている。なぜヒトは偶然(たまたま)を必然(やっぱり)と勘違いしてしまうのか。これを科学的に考えてみようか、という試みをこの本の著者のムロディナウは行った。


 この本のプロローグは、こんなショート・ストーリーからはじまる。数年前、スペインの国営宝くじを当てた男の話だ。男は、下二桁が「48」の宝くじ券を購入し、偉業をたぐり寄せた。そしてそのことを自慢したくてしたくてたまらなくなり、皆に自身が富を築いた理論を惜しげもなく披露したのだ。「七日連続で7の数の夢を見たんだ。だからシチ・シチ・シジュウハチというわけさ」
 ・・・絶句である。こんな男が大金持ちになってしまうなんて、なんだか悔しくて堪らない。こんなことならかけ算九九なんて真面目に勉強しなけりゃ良かった、なんて思いかねない。しかしながら僕たちは、この男と同じように、たまたまに意味を見出し、偶然を必然と見なしてしまう間違いを犯している。


 僕は以前こんな問題を出されて、解答に四苦八苦してしまった。ここに、6つの数字がある。

1、3、6、9、10、11、16

 7つだった・・・。この7つの数字の間には、どのようなルールがあるかを考えてみて欲しい。

 見つけ出せただろうか?
 3の倍数になっている? 奇数? いやいや。この数列には、右に行くとだんだん大きくなる、というルールが存在している。それだけである。しょーもない。出題者に「クソ野郎!」と罵ってしまうほどだった。答えは驚く程単純なのだ。であるにもかかわらず、僕たちはそこにさらに深い意味を見つけ出そうとしてしまう。


 あれは小学3年生時分のことである。ある日僕は、いつものように真面目に授業を受けていた。すると、その日に限って、なぜか特定の女の子と目が合うのだ。そして次の日も、その次の日も、その子とよく目が合うのだ。そして僕は確信した。この子は俺のことが好きなのだ!
 この子はどちらかというとおとなしい性格で、目立つ存在ではなかった。しかしあの出来事以来、僕は妙にその子のことが気になり出した。これはいわゆる“両想い”というものである。それからというもの。僕らは授業中、先生や友達の目を盗んでは、お互いの目を合わせ愛を確かめ合っていた。
 4年生になって、クラスは別々になった。でも僕たちの愛は変わらない。廊下ですれ違えば、一瞬ではあるが視線を重ねた。5年生になっても6年生になっても、僕らは愛を確かめ合った。
 そして中学生になったとき、二人の愛に終わりが訪れた。その子に彼氏が出来たのだ。僕は最初信じなかった。俺のことが好きだったんじゃないのか?嘘だろ?誰か、嘘だと言ってくれ! そんな悶々とした感情を抱きながら、僕は日々を過ごしていた。
 するとある日、あれは確か音楽の時間であっただろうか、ある女の子と目が合った。僕は確信した。彼女は俺のことが好きなんだ! 数日後、彼女は僕の友人とお付き合いをはじめた。殴ってやろうかと思った。それからというもの、教室で何度も目が合い、俺のことが好きなんじゃないかと思って気になり出した女の子が、毎年何人も出現した。おそらく高校3年生くらいまで。そして大学入学を控えたある日、僕は思ったのだ。あれは思い違いなんじゃないか、って。
 思い違いである。
 できれば、そうは思いたくはないが。
 人間の視線は常に一点を見つめているというわけではない。歩く時も人と話す時も、あらゆるものに瞬間瞬間で視線を移ろわせている。それに教室の中だと、視線を向ける対象となるものも限られてくる。そういう状況だと、1日のなかで視線が幾度か重なるなんていうことは、結構よくあることなのである。僕はその偶然に必然、いや、運命を感じてしまったのだった。


 ここまで書いて、あることに気付いた。本の内容をほとんど話していない...。というわけで、まだプロローグの話を終えたばかりなのだが、この本についてはもう書くのを諦めることにする。実際に本書を読むか、松岡正剛の千夜千冊を読んでください。僕は、無責任だとか言われても気にしないようにする性格なのである(昔から)。


たまたま−日常に潜む「偶然」を科学する(レナード・ムロディナウ)

  


Posted by チョコ泥棒 at 07:52Comments(1)ハダ色の日々しりとり

(5)奈良

2013年03月21日

良といえばやっぱり大仏だ。大仏の数は県民の携帯電話の所有台数を超えているという報告もあるほど、奈良県民は大仏を愛している。そしてさらに素晴らしいことに、地味だ。そしてこの地味さをゴリ押ししてくる空気感が、なんとも心地が良い。奈良は人口約140万人のうち8割が大仏と鹿で占められているが、残りの2割の県民は自らが暮らす地の地味さを隅から隅まで知り尽くし、そしてそれを誇る。スカイツリーがなんだ! 青い海がなんだ! こっちには鹿と大仏がいる!


 そして近年奈良県民は、『せんとくん』という怪物を生み出した。これが、県民の奈良への誇りをさらに押し上げた。このせんとくん、見るからに奇妙なビジュアルをしている。幼子なら見た瞬間に背筋を凍らせることは間違いない。それほど恐ろしい。この古都・奈良に、大仏様から角を生やさせた悪霊みたいなルックスのマスコットが出現しても、陰陽師部隊が出動しないのは疑問である。なぜ退治しない。坂口安吾の小説のなかで耳男が作り上げた怪物(のような菩薩)が実写化されたのではないかと思えた。小説の中の怪物は、疫病から人民を救ったとして祀られるのだが、奈良県民もとうとうせんとくんを県の観光マスコットにしてしまった。ああ、奈良に不穏なことが起きませんように。


 そういえばこのせんとくん、制作費が1,000万円以上かかったのだという。耳を疑った。どこにそんな大金を投じた形跡があるのか。もしかしたら、本物の大仏に本物の鹿の角をぶっ刺したのではないかとも思えてしまうのだが、さすがにそこまで仏様を冒涜するようなことはしないだろう。それから、実はせんとくんには、「まんとくん」というライバルがいる。せんとくんとまんとくんを比べてみると、圧倒的にまんとくんの方が可愛いのだ。これもう、言葉を失ってしまう程の大差である。大金を投じた挙げ句、可愛さではライバルに絶対に追いつけない。なんと物悲しいせんとくん。奈良県としても、デザイン案が上がってきた時から、薄々これはヤバいと感じていたのではないだろうか。しかし、もうかなり計画進んじゃったしこれでなんとかしよう! といらぬ粘りを見せ、サンク・コストをどんどん増大させていった。そうして、あの怪物が生み出されてしまった。これがせんとくん誕生の真相じゃなかろうかと思う。


 しかし、結果的にせんとくんは大成功を収めた。先述したが、いまでは県の観光マスコットだ。この気持ち悪さを、日本中のマスメディアが放っておかなかったのだ。平城遷都1300年記念という神聖さとあのルックスの気持ち悪さというギャップ。確かにこれは猾い。スーザン・ボイルの典型的なおばさんスタイルであの歌唱力というギャップが人々を惹き付けたのも、同じことなんだろう。いろいろ反対されたが、終わってみれば合計約15億円の経済効果を生み出したというのだから、やはりせんとくんには神聖なる力が宿っているのだ。

(奈良県の皆さん、ごめんなさい)

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↓ せんとくん(上)&まんとくん(下)



  


Posted by チョコ泥棒 at 07:23Comments(0)ハダ色の日々しりとり

(4)ンジャメナ

2013年02月05日

ジャメナという言葉(地名)をはじめて知ったのは、小学校高学年の頃だった。僕のクラスメイトにヒデキという色白でヒョロヒョロな友人がいて、そいつは本当にわけのわからない奴で、なんかいつもガムやらキャラメルやらスルメイカやらを噛んでいた記憶がある。
 ある日ヒデキはいつものように社会科で使う地図帳を隅々まで舐めるように眺めていた。すると、そのなかに「ンジャメナ」というワードを見つけたのだ。彼は「ん」からはじまる語がこの世に存在していたことを発見した喜びを、一切隠そうとはしなかった。この時からしばらく、彼の流行語は「ンジャメナ」だった。僕が何かヘマをすると、「お前はンジャメナか!」という甚だ訳の分からない叱責をされた。そして彼はこの「ンジャメナ」によって、しりとりを牛耳るマフィアとなった。最後に「ん」がついても、「ンジャメナがあるじゃないか!」と声を荒げた。しかもこの「ンジャメナ」を利用し、自らは何度も「ん」で終わる単語を唱え、1回の対戦で複数に渡り次の者に使用を強要した。これは完全にルール無視なのだが、「ンジャメナ」という最強兵器を所有するヒデキは、もう誰も抑えることが出来なかった。恐ろしい男である。そう考えると、北朝鮮が"本物の"核ミサイルを保持することになったら、世界は確実に破滅に向かうだろう。恐ろしい世の中である。


 ンジャメナは、チャドの首都である。と言われても、そもそもチャドがわからない。広辞苑によると、チャドは、アフリカ中部に位置し、サハラ砂漠の南に接する共和国である。元フランス領で1960年に独立を果たし、チャド共和国となった。人口はだいたい1,000万人くらいなので、堀ちえみの子ども達の数とだいたい一緒くらいである。面積は約128万平方キロメートルで、東京ドーム約27,376,751個分、甲子園球場だと32,323,232個分にもなる。外務省によると、在日チャド人の数(2010年)は、4人らしい。これでは、日本にいるチャド人を全員集めても夏の甲子園大会はおろか春の選抜にすら出場できない。2001年の塚原青雲高校野球部が、甲子園敗退後に3年生が抜けて、残った部員4名で練習を再開する姿が熱闘甲子園で報道された。あの時と同じような光景が、チャド人が立つグラウンドにも広がっているのかと考えると、なんとも胸が苦しくなる。来年の春の選抜から、21世紀枠に加えて、『チャド枠』というものをつくってみるのはいかがでしょうか、高野連と毎日新聞さん。小学校からンジャメナに馴染みがある僕としては、彼らの頑張りを無駄にしたくはないのである。




↓このチャドではない。
このチャドじゃない
地球の歩き方(チャド)  


Posted by チョコ泥棒 at 20:13Comments(0)ハダ色の日々しりとり

(3)ビッグバン

2013年02月05日

ッグバン。この目的の見えない意味不明な企画の記念すべき第一夜に、選ばれたのがこの単語。いきなり「ん」で終わる単語からスタートするのは何とも心が痛い。だが、それはご愛嬌。ルールの範囲内である。


なんだよルールの範囲内って! なんてことにはならないと思うが、あえてここで、この企画のルールを説明する。以下は、今後いつまで続くかわからないこのしりとり無駄地獄において適用される絶対の掟である!でも別に破っても良い。

 ①単語は1日1つずつ。
 ②単語について、無駄でも出鱈目でも情報を載せてしまう(wikipediaからの引用でも仕方がない)。
 ③『ん』で終わっても終わらない。

この様なルールに則って、コソコソと闘っていきます。哀れに思われた方は、直ちに立ち去ってくださると助かります。


   ※何をしているのかわからない方はコチラへ。。。


 ということで、ビッグバンである。
 僕は最近よく、経営している学童に通う小学1年生の子どもたちに“いちいち”宇宙の話をする。例えば、今日は何月何日かを訊ねる際に、いちいちカレンダーと宇宙とのつながりを語る。すると、子どもたちは一斉に目を輝かせ、もっともっと! と好奇心に駆られて前のめりになって来る・・・かというと必ずしもそうではなく、食いついてくる時もあるが、わかったようなわからないような顔で見つめられることもある。その度に、僕は自分自身の力不足を痛感するのだが。


 1946年、ガモフは「初期の宇宙は超高密度かつ超高温の小さな火の玉だった」という説を唱えた。これがビッグバン宇宙論である。宇宙誕生の瞬間という宇宙一大きく高尚な問題に対して『ビッグバン』とネーミングしてしまうセンス。脱帽である。なんとも庶民的。相対性理論だとかブレーン宇宙論だとか量子重力理論だとか、そういう言葉を並べられてもさっぱりなのだが、『ビッグバン』と言われると、"ああ、あれね"とやんわりと把握したような感覚(ほとんどが錯覚)を抱く。この語は、ガモフの説に異を唱える他の学者たちによって、皮肉を込めて呼ばれた言葉だそうだ。気の毒なことに、それがそのまんま理論の名前になっている。変えりゃあいいのに。あるときテレビを見ていたら、TRFのダンサーSAMの名前が「寒がり」に由来している、ということを知った。その時も全く同じことを思った。この人は、これで納得しているのかと。


 いまから約137億年前、宇宙は小さな点であった。それはもう小さい小さい点だった。アリよりもミジンコよりも、エマニエル坊やよりも小さい。もちろん加護ちゃんや辻ちゃんや矢口よりも小さい。ちなみにもう一人のミニモニ。の元メンバー(ミカというらしい)は現在、音楽家である父親とライブ活動等を共にしながら、イルカ漁への反対運動に勤しんでいるという。ミニモニ。の誰よりも小さいこの点に、宇宙のすべてが詰まっていた。なんともロマンチックなことだろうか。地球や太陽や、それよりも大きなチェ・ホンマンでさえ例外ではないのである。
 この宇宙のはじめの小さな点は、生まれてから0,000000000000000000・・・1秒後に0,000000・・・1cmに、つまり生まれてすぐに大きくなって、その後0,00000・・・まあいいや。生まれた瞬間から急に膨張しだしたのである。そしてその膨張が終わる頃に大量の熱が発生し火の玉宇宙となり、そこからはゆっくりと膨張を続けいまの宇宙の大きさとなった。この火の玉宇宙の誕生こそが『ビッグバン』である。ちなみにビッグバン以前の急膨張をインフレーションと呼ぶ。これをインフレーション理論と名付けたグースのネーミングセンスを『ビッグバン理論』は見習うべきである。『インフレーション理論』と言うと(聞くと)、なんだか親しみやすさとスタイリッシュさを兼ね備えた感があるが、『ビッグバン理論』はねぇ。。。


 宇宙は遥か昔に小さな点として誕生し、その瞬間からインフレーション、ビッグバンを経て137億年後の現在に至る。かなりざっくり言うと宇宙はこんな感じでできてきたらしい。じゃあ小さな点の宇宙が生まれる前はどうだったんだよ! どうやってできたんだよ! みたいなことになってしまう(僕が)。それを調べてみようとすると量子論とかそういった部分までいかなければいけないので、それはちょっと・・・いまはちょっと・・・って感じである。
 漫画「はじめの一歩」で、一歩のライバルである伊達が世界戦でリカルド・マルチネスに敗れた直後、一歩が伊達の息子に仇を討ってくれるよう頼まれるシーンがあるのだが、そこで一歩は「いまの僕には無理だ」と言って立ち去ってしまう。そんな一歩を蔑む伊達の息子に、伊達の妻は「バカね、“いまの”って言ったのよ」と告げたのである。
 さあ、話を戻す。量子論は、今の僕には無理だ、というよりやる気がない。やる気が舞い降りてくるまで無理はしない。なので将来的に量子論まで踏み込むかはわからないが、とりあえずそういうことにしておこう(どういうことかは不明)。  


Posted by チョコ泥棒 at 19:49Comments(0)ハダ色の日々しりとり

(2)しりとりはじめました

2013年02月05日

いよいよ大変なことになってきた。意気になってこのブログはじめてから既に2ヶ月。本格的に、誰一人更新しないという予想ど真ん中の現象が起きている。
相変わらず、兼島はブログのコードのみをいじり回し、志喜屋代表は畑に出かけてはゴルフクラブを握るという生活を続け(もちろんブログは閲覧しない)、喜久山はいまの仕事に悩んでいる。
これはちょっと、なんとかテコ入れしなきゃん。

ということで、このブログである試みをはじめてみようと思う。

その名も。。。



しりとり!



あぁ、なんという無鉄砲。あぁ、なんという無駄時間。


あらゆる事に対する造詣の浅さには定評のある兼島が、毎回記事のタイトルでしりとりをしながらそれについて拙文をダラダラとPC画面に擦り付ける、という誰にとって利があるのか甚だ不明な挑戦を行っていきたい次第でございます。

次回からの当ブログを、乞うご期待!

※ちなみに、このしりとりというアイデア、以前兼島が自身のブログでやっていたことです。てことはつまり、記事もまるまる同じです。要するに何がしたいのかと言うと、とりあえず更新したいのです。  


Posted by チョコ泥棒 at 19:33Comments(0)ハダ色の日々しりとり

(1)決意表明

2013年01月22日

さて、いよいよ劇団を立ち上げてしまった。
このブログのこの記事が、劇団『チョコ泥棒』としてのはじめての公式な活動である。
なぜ僕らがチョコ泥棒を立ち上げたのか。そんなことは今はどうだっていい。
問題なのは、なぜ僕(兼島)が、いまこの記事をせっせと綴っているのか、ということである。


僕たち3名(志喜屋代表喜久山、兼島)がチョコ泥棒をやろうと決めた日、こんなことで盛り上がった。「じゃあ、ブログでもやろうか!」
出所不明なこの発言に、残りのメンバーは賛同した。全員の意見が一致したのだ。
これは良い船出だ、と鼻歌を歌いながら、僕らは航路へと旅立った。はずだった。
しかし、である。
いざこのブログを開設し、皆がIDやパスワードを共有し、誰でも好きなように更新できるような環境が整っても、誰も触ろうともしない。代表の志喜屋に関しては、ブログを見ようともしない。
仕方がない。それなら、と僕は、二人がブログを書きたくなるように(志喜屋に関しては閲覧したくなるように)、レイアウトをいじり始めた。
トップ画もバナーもアイコンもすべてオリジナルのモノを作成し、見慣れぬコードをいじり倒してレイアウトを「チョコ泥棒デザイン」に変更した。



これで少しはブログに興味を持ってくれるのではないか・・・。



僕は、甚だ浅はかだった。
Lineにキャプチャをアップしても、反応は喜久山からの「凄」のみ。一言どころか一文字である。音沙汰の僅かさに、涙すら浮かべてしまいそうな僕。志喜屋代表は、いたって平常に僕の魂のつぶやきを見逃していた。


なにくそ! それでも僕はへこたれなかった。
じゃあ今度は、自己紹介ページを作ろうではないか! 強制力を働かせれば、彼らは動いてくれるに違いない! それに、自分自身のことなんだからそこまで苦はないだろう。ではまずは、紹介文を作らなければ!
ところが、いや、案の定。紹介文の執筆をお願いしたところ、両者から、紹介文はすべて僕に任せるという他力本願極まりない回答を頂いた。
ああ、そうですか。適当に文章を見繕ってそれぞれの紹介記事を書き、二人にその旨を知らせた。


お前らの記事、アップされてるぞ!




・・・・・・
「いいぜ」
・・・・・・




それが彼らの回答だった。
なんなんだそれは!


打ち拉がれた僕は、それでも尚、しぼみかけた気力と喉をなんとかこじ開け、声を絞り出した。


お前らは書かないのか?




・・・・・・
「お前、作家だろ?!」
・・・・・・




クラクラ目眩がした。
藤波辰爾がストロングマシンに向かって「お前、平田だろ!」と叫んだあの大事件のような掟ビリビリ破りを、ウチの2名の劇団員は飄々とやってのけた。


その勢いに気圧されて、僕はいまこうしてパソコンの前に座っているのである。
この文章を書きながら、僕は高校時代を思い出している。思えば、彼らは高校時代からこんな人間であったのだ。
懐かしくはない。なぜなら、現在進行形だから。


そんな彼らとのくだらない事件を、このブログではダラダラと綴っていくことにする。
立ち上げ公演すら決まっていない弱小劇団(もはや劇団なのか)だが、この嘆きが誰かに届いて欲しいものである。  


Posted by チョコ泥棒 at 22:01Comments(0)ハダ色の日々

喜久山徹

2013年01月15日

喜久山 徹(きくやま とおる)
脚本・演出・俳優

《出身校》
  高原小学校 → 美東中学校
  → コザ高校 → 南九州大学(宮崎)卒
《趣味》ギャンブル
《特技》のぼせ上がる
《特徴》酒の席で、途中から上半身が肌色になる。



『性格悪いが顔は良い』
彼はいつも、自身のことをこう評する。
そんなことはない。
彼の性格は悪い、それは確かだ。しかし彼は、顔もそれほど良くはないのだ。
驚いたことに、彼は周囲の人間にその事実を告げられても、頑に信じない。そんな声は寄せ付けない。人の声にははなから聞く耳を持たない、自分が一番偉い、そういう人間なのだ。やはり彼の性格の悪さは折り紙付きだ。
そんな彼にも、共に劇団を組む友人がいた。これは奇跡に近い。しかしこの奇跡には汚れが目立つ。その友人は2名とも、意欲と責任と一貫性の欠如した、どうしようもない人間なのだ。そんな小さな人間達が奏でるアンサンブル、劇団『チョコ泥棒』。一体、どうなることやら・・・。  


Posted by チョコ泥棒 at 14:23Comments(0)メンバー紹介

兼島拓也

2013年01月14日

兼島 拓也(かねしま たくや)
脚本・演出・俳優

《出身校》
  美里小学校 → 美里中学校
  → コザ高校 → 沖国大卒
《趣味》他人の粗を探すこと
《特技》好青年を演じること
《特徴》時折、透明になる

『可もなく不可もなく』
これが彼という男を要約した言葉である。
社交性は乏しく、かつ内省深くもない。どこにいってもその場しのぎな言動に終始し、それ故、何のためらいもなく自らの意見を変えるという術を身に付けている。
最近では、一貫性が欠如した自身を肯定的に捉える、という禁固刑を喰らいかねない危険思想を抱いている。
こう書くと、もはや彼には『不可』しかない。『可はなく不可しかなく』である。
ちなみに、この文章は彼自身が書いているのだが、たとえ彼のことを嫌っている人間であっても、ここまで露骨に嫌悪を表現はしないのでないだろうか。それはつまり、愛情の裏返し。
つくづく、自分のことが大好きな男である。  


Posted by チョコ泥棒 at 23:05Comments(0)メンバー紹介